2012年12月のアーカイブ

選挙制度と全員当選モデルと不可能性定理

小選挙区制の特徴が大きくクローズアップされるここ数回の総選挙
特定政党の一人勝ちが多く、「死票が多い」という根本的な欠点を多くのマスコミが取り上げている。

しかし、論理学の世界では、そもそも、完全に合理的な選挙制度など存在しないことが証明されているアローの不可能性定理
アローの定理はかなり難解だが、1919年にテンプル大学の数学者ジョン・パウロスが考案した「パウロスの全員当選モデル」などは、それをわかりやすく示してくれるパラドックスである。

たとえば、5人の立候補者(被選挙人)に対する55人の有権者(選挙人・投票者)の選好が以下の6つのように分けられる場合を考えてみよう。

パターン① A>D>E>C>B  18人
パターン② B>E>D>C>A  12人
パターン③ C>B>E>D>A  10人
パターン④ D>C>E>B>A  9人
パターン⑤ E>B>D>C>A  4人
パターン⑥ E>C>D>B>A  2人    合計55人

ここで、パターン①は、「Aを最も良いと思い、次にましなのがD、次にましなのがE、次にましなのがC、次にましなのがB」という人が18人いることを示している。
以下、パターン②〜⑥も同様である。

この場合、選挙の方法としては、以下のようなさまざまな投票方法が考えられる。

① 単記投票方式
複数の選択肢の中から一者を選ぶ方式である。通常、私達が最もよく知っている方法であり、暗黙のうちに、選挙といえばこの方式だと考える方も多い。
1位票を最も多く得た候補者が当選するから、本ケースでは、18票入るAが当選することになる。

② 上位二者決選投票方式
過半数を超える被選挙者がいない場合、上位2者で決選投票を行う方法である。
数年前のアメリカでのブッシュ・ゴアによる一騎打ち、先日の自民党での安倍・石破一騎打ちはこの決選投票であった。どちらの場合も、本来、①の方式であれば、当選していたであろう、ゴア・石破が敗れ、ブッシュ・安倍が当選するという逆転現象があったことで、この方式の首をひねる方も多いだろうが、実際には、①の補間方式として、多くの組織で使われている。
山崎豊子の名作『白い巨塔』でも、主人公の財前五郎が、確執のある恩師・東教授の政治的思惑に打ち勝つのは、この上位二者決選投票方式のおかげであった。
本ケースでこの方式を採用した場合、Aは18票と最多票数を得ることはできるが、55票の過半数28票には遠く及ばないから、勝負は、18票得票したAと12票を得票したB都の間での決選投票に持ち込まれる。その際、Aにはパターン①の18票しか期待できないが、Bにはパターン②〜⑥のすべての票が入ることになる。
12+10+9+4+2=37
計算すると、Bの得票数は37票となり、BはAに圧勝する

③ 勝ち抜き決戦方式
②の変形であり、上位二者を選ぶのではなく、最下位の一者が段々と落選していく方式である。テレビ番組などで、「一番イケメンを選ぶ」といった企画において、何度も勝負を繰り返し、毎回一番ダメな人が抜けていくというパターンである。昔なつかし、日本テレビの名番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」などでも用いられていた方式であり、選考過程(プロセス)そのものに、ドラマやショー性があるのだろう。確かに、見ていておもしろいと思う。
本ケースでこの方式を採用すると、計算過程を示すのが面倒なので大半を省略するが、最初の選挙では1位票が一番少ないEが脱落し、以下、2回目の選挙では、Eを指名した4票がBへ、2票がCへと流れるため、Aが18票のまま、Bが16票に増え、Cが12票に増え、Dが9票となる。よってDが脱落する。以下、3回目の選挙では、Dの票が移る… これを繰り返していくと、3回目野選挙ではBが、4回目の選挙ではAが破れ、結局、Cが当選することになる。

④ 順位評点方式
投票者の選好を順位で投票し、1位:5点、2位:4点、3位:3点…といった具合に点数をつけて総得点で見る方法である。人事考課などの世界でも使われる方法であり、一定の論理性はある。
ただ、目立たない人が総合点では1位になり、「え? 結局あの人が当選したの???」という意外な結果に終わってしまうことも多い。すべての人から2位指名された方が当選した場合、裏を返せば、すべての人にとって「一番推したい候補者」ではなかった次点の候補者(「ましな人」)が当選することになるからである。中学生の中間テストでも、すべての科目で学年7位くらいだったあまり目立たないそこそこの秀才が、総合点では学年トップになってしまう場合があるが、同様の論理である。
本ケースの場合、表計算アプリExcelでも使って計算すればすぐに結果が出るが、Aが127点、Bが156点、Cが162点、Dが191点、Eが189点となり、Dが当選することになる。一見目立たないDが実は当選してしまうのである。

⑤ 総当たり決選方式
日常ではあまり行われていない方法であるが、立候補者全員による総当り決選投票の票数の合計で争うという方法である。
本ケースで、この方式を採用した場合、これまた計算が面倒なので、省略するが、Eが当選する。たとえば、AとEでの決選投票では、Aは18票しかとれないが、Eは37票とれる。他のB〜DとEが一騎打ちした場合でも、Eが勝利するのである。

と、まあ、おどろくべきことだが、A〜Eの全員が、ある特定の選挙方法の基では当選することが可能になっている。
笑い話のようだが、どの選挙方法をとるべきかをくじ引きで決めるのが、一番公平なのかもしれない(だれが当選しても、一応妥当でありながら、見方を変えれば、妥当性を欠くことになるのだから)。

これらのことについて研究する分野を社会選択理論(集合的選択理論)という。個人の持つ多様な選好を基準に、個人の集合体としての社会の選好の集計方法、社会による選択ルールの決め方、そして社会が望ましい決定を行なうようなメカニズムの設計方法のあり方を解明する理論体系である。経済学者と政治学者の両方により研究され、資源配分ルールや投票ルールの評価や設計は一貫して主要な課題となっている。

1951年にコロンビア大学のケネス・アローは、完全に民主的な社会的決定方式が存在しないことを証明している。「アローの不可能性定理」といわれるものであり、社会選択理論の代表的な定理である。冒頭で、「完全に合理的な選挙制度など存在しない」と申し上げたのは、この定理によるものである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アローの不可能性定理

この定理はむちゃくちゃ難しいので、私もうっすらとしかわからないのだが、とにもかくにも、普段、私達がうすうす感じている

「ルールが違えば、当選者は変わる。一番いい選挙方法など存在しないのではないか?」

という予想を裏付けてくれる定理である(ようだ笑)。
人間はいろいろな限界と戦う生き物だが、物理学の世界で光速を超えることができなかったり、−273度を下回ることができなかったりするように、論理学の世界にも限界があるようだ。選挙制度の理想を追求しようとしても、どうやら、一定の限界があるのだ。

ガリレオが晩年に

「それでも地球が動く」

といったのはどうやら史実ではないようだが、

「それでも理想的な選挙制度はあるはずだ」

と考えて、一定の限界の中でも、努力を続けることを、人はやめないのだろう。

あ、選挙制度に限界があるからといって、「選挙に行く必要がない」と言っているわけではありません笑
来年には参院選もありますし、皆さん、投票権はきちんと行使しましょう!!
人間は限界と戦う生き物なのですからね。

参考文献:『理性の限界—不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) 』(高橋昌一郎著 講談社)

2012年12月23日

マーケティング活動上の法的リスクの積極的活用法と落とし穴

1週間ほど前のニュースになるが、シャープが、景品表示法違反の疑いがあるとして、消費者庁から措置命令を受けた。
プラズマクラスターを搭載した掃除機の広告表現の一部が、景品表示法4条1項1号に規定される「優良誤認」にあたるのではないかということである。

このニュースにはいささか驚かされた。
2003年に景品表示法が改正され、「不実証広告規制」(4条2項)が追加された際に、それを逆手に取って、いわゆる「アカデミック・マーケティング」を一気に推し進め、プロモーション上の差別化に成功したのがシャープだったからである。

不実証広告規制の導入には面食らったメーカーが多かった。
表示が優良誤認にあたらないことをメーカー側が立証しなければならなくなった(4条2項)からである。

具体的にはこうだ。消費者庁はメーカーに対し、表示の「合理的な根拠」となる資料の提出を求めることができる。事業者は資料を15日以内に提出しなければならない。15日以内に提出しない場合、または提出された資料に合理的な根拠がないとされた場合は、不当表示と擬制される。

「擬制」…つまり、「推定」ではないので、メーカー側は「不戦敗確定」。反論できなくなってしまうのだ。

「15日って…そりゃあ、無理だろう(苦笑)」

当時、私も鼻白んだのを覚えている。

しかし、シャープの対応は違っていた。

彼らは2000年にプラズマクラスターを世に出してから、延々と、北里環境化学センターを中心とする大学や研究機関(いわゆる「第三者機関」)を巻き込み、「合理的な証拠」を示し続けてきた。来るべき法改正を見越しての活動であった。
こういったプロモーション手法を、アカデミック・マーケティングと呼ぶ。この用語はウィキペディアにも「2003年頃に登場してきた。日本で作られた言葉の説がある」と解説されており、プラズマクラスターも普及に一役買っているはずである。

「アリとキリギリス」…と言ったら言い過ぎかも知れないが、この法改正前からの地道な努力が、法改正後に実を結ぶことになる。

他のメーカーが「合理的な証拠」づくりに躍起になっているのを横目に、シャープは、自らはウェブを使って、アカデミック・マーケティングの結果として得られた「合理的な証拠」を示し続けてきた。

流れは止まらない。

2008年には、プラズマクラスターイオンの発生濃度を従来の約10倍に高めた発生装置を開発し、これに基づき、「脱臭」機能を前面に出していく。

「除菌」や「ウイルス活動抑制」といった触知不可能な(つまり「見えない」)効果を謳うよりも、消費者には「脱臭」とう触知可能な(つまり「見える」)効果のほうがピンとくる点をついてきたのだ。

しかも、「脱臭」を謳うプロモーションに、地道に展開してきたアカデミック・マーケティングを一本化し、新たな、そして、見事なシナリオを描いた。

シナリオのイメージはこんな感じだ。

「プラズマクラスターの脱臭効果、すごいでしょう?」
「すごいですね。比べるとわかる。全然匂いませんね」
「ありがとうございます。みなさん、体験するとそうおっしゃってくださるんですよ。ところで、ちょっとこちらのカタログを御覧いただけますか? ここに出ている大学でのデータのとおり、実は除菌やウイルス活動抑制においても、すごい技術なんですよ」
「へえええ、なるほど…。よくわかります」
「ありがとうございます」

脱臭の体験と、大学が実証してくれた「除菌効果」「ウイルス活動抑制効果」とは、本来別物である(並列的な概念である)。
しかし…。
消費者には、

「ハロー効果」
「論理誤差」

が働く。

ハロー効果とは、認知バイアスの一種であり、る対象を評価をする時に顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる効果のことである。
論理誤差とは、これまた、認知バイアスの一種であり、評定する人が自分自身で評定要素間の関連性を論理的に考えてしまい、関連がある項目を同一評価、もしくは類似評価してしまう傾向のことである。

つまり、消費者はこう感じるのだ。

「こんなにすごい脱臭効果のある技術なんだから、除菌効果やウイルス活動抑制効果のデータも凄い数値なんだろうな。」

これがすごい。

通常、「脱臭機能」と「除菌効果」「ウイルス活動抑制効果」は別個に考える(並列的な概念である)。
私が家電現場の販売員だったとしても、これらを結びいつけてストーリー化するのは難しいかもしれない。

しかし、シャープは、触知可能な効果で顧客の信頼を勝ち取り、そこで触知不可能な効果までも信頼させることに成功しているのである。並列的な概念を見事に直列的に再配置している。

”脱臭の経験(触知可能)⇒信頼⇒アカデミック・マーケティングで収集したデータ(触知不可能)⇒信頼”

これがシナリオの骨子である。

マーケティング上の事例として紹介することも多いのだが、実は、ビジネス法務を学ぶ意味合いを考える上でも、この事例は意義深い。

「法律とは自らの守るための防護壁ではなく、逆手にとって積極的に自らを売り出すための武器とすべきである」
「法律に対する『備えあれば憂いなし』の精神こそが、先行者利益をもたらす。アリとキリギリスの論理である」

これこそが、ビジネス法務の意味であり、ビジネス・パーソンが法律を学ぶことの意味である…といろいろなところで話してきた。

ところが。
突然飛び込んできた「景品表示法違反の疑い」のニュース。
上手の手から水が漏れたか…

昨今の家電業界をめぐる環境はみなさんご存知のとおりであり、特に目下危機的状況にあるシャープにとって、プラズマクラスターは復活のための狼煙となる技術である(昨日、クアルコムとの提携の話がまとまり、株価が上昇し始めたと伺い、ほっとしたが)。

私は縁あって、現在、シャープのライバルとなる企業を応援する立場にあるが、だからといって、シャープが苦境に追い込まれればよいと考えているわけではない。

プラズマクラスターのイメージダウンは、シャープのイメージダウンにつながるだけではなく、白物家電業界全体のイメージダウンにつながる危険性もはらんでいる。

昨日、ポーター賞のために来日し、一橋大学で講演を行ったマイケル・ポーター教授は、業界が成長するためには「よい競争」が必要であると主張している。
日本の家電業界全体が活気を取り戻すためには、パナソニックにも、シャープにも、ソニーにもがんばってもらわなければならない。

今回の一件。
店頭におけるプロモーション上の競争が激化する中で選択せざるを得なかったぎりぎりの選択の結果だったのだろうが、今後は十分に注意していただきたい。
また、リスク・マネジメントの基本は、他社の事例を見た時に、「自社は大丈夫だろうか」と日々考えるケーススタディ化の習慣から始まる。
ビジネス・パーソンの皆様には、「対岸の火事」と決めつけることなく、真摯にこの事例を研究しようとする姿勢を持っていただきたい。

2012年12月6日

私のセルフ・ブランド・マネジメント

今日は我が社の忘年会
例年になく早い開催だが、今日でないと、山口と私はおろか、社員・関係者全員が集まれる日がないのだ。
というわけで、今夜開催!

昨年の今頃は、山口のNHK出演で湧いた弊社だが、今年は、出版社のM&Aという大きな節目の年となった。
毎度のことながら、山口の戦略眼には驚かされる。いっしょにやらせていただいて早15年。お陰様で退屈はしない笑

もともと、ご存じの方も多いと思うが、弊社は月曜・火曜を非営業日に当てているので、飲み会は日曜日の講座終了後…ということが圧倒的に多いのだ。

で、このところ本当にたくさん芽生えた新規業務についての詳細を、社員・関係者諸氏に発表することになった。
Facebookを開始して以来、その人脈からとてつもないほどの業務が発生した(お陰様で、先日、年内の新規業務の発注をお断りする旨の投稿をさせていただいたほどである)。
新規の仕事というのは、緊張感もあるが、やはり楽しいものである。この年になっても、まだまだ、いろいろなことにチャレンジできる機会があるということを幸せに思う。

「Facebookからは仕事につながらない」

と溜息をつかれる方が多いが、そんなことはない。

要は、過去の実績者の真似をやってもダメだということだ。「Facebookで大儲け」的な本には嘘は書いていないと思うが、すでに時期的に遅いのだ。
本に出た内容というのは「公知」情報であり、少なくとも新たにビジネスを立ち上げるための方法論としては役に立たないのだ。

ビジネスの成功、事業の成功とは、常に「相対的な」ものである。陳腐な言い方になるが、「人と違うこと」をやらない限り、仕事にはつながらない。
だから、私はこの手の勉強会に顔を出さない。自分でも開催しない意味がないと知っているからだ。

もう1つは、ビジネスの成功と友達(Facebook上の友達)のには何ら相関関係はないということだ。
私も最初の数ヶ月間、やっきになって友達を増やしたが、実際にビジネス上の「深い」おつきあいがあるのはせいぜい100人くらいである。
「パレート分析」は、ここでも的中するのだ。

人数は問題ではない。
むしろ、数人でよいから自分のことを「高く評価してくださる」友達とどう出会うかが大切である。あとは、その友達があなたを売ってくれるのだ。
「友達」は少数で良いが、「友達の友達」は多いほうが良いのかもしれない。そのほうが楽である笑

「私が歌がうまい」という話を誰が信じるだろうか。

歌がうまいと相手を納得させたければ、歌を聞いていただければよい。Evidenceを提示すればよい。私の場合、これはYouTubeであり、雑サロの開催であった。

あるいは、自分の代わりに「彼は歌が歌えるのだ」ということ口コミしてくれる友人がいればよい。Evidenceにはならないが、口コミの影響力は絶大である。私の場合、それが、Facebookであり、雑サロの開催であった。

つまるところ、それだけである。

だが、ビジネスは確実に大きくなった
その単純なしくみが、私にとっての大いなる武器となった。

あなたは「自分は歌がうまい」と叫ぶことにやっきになっていないだろうか。
パンフレットをつくり、DMを打ち、ホームページを立ち上げ、見込み客に自らのセミナーに来てもらうようにひっきりなしに勧誘し、 必死になって自分の歌の旨さを「説得」しようとしていないだろうか。

おやめなさい…とは言わない。

ただ、

「もっと楽な方法があるよ」

とは申し上げたい。

別にFacebookをやらなければならないものではない(今から始めても遅いかもしれない)。YouTubeである必要もない(時代はニコ動である…という事例を私自身、Facebookでご紹介している)。他の人と同じにやってもだめなのだ。

でも。もっと楽な方法を考えていただきたい。きっとあるはずだ。

見つけるのには少し時間がかかるだろう。私がこの方法、Facebook、雑サロ、YouTubeを組み合わせて、プロモーション・シナリオを構築するまで半年を要した。
さらに、自分をFacebookの世界である程度認識していただくようになるまでもう半年かかった。
ビジネスの花が開き始めるのにさらに数ヶ月
そのあとは、ポップコーンが弾けるようにいろいろな方からオファーをいただけるようになった。現在は、むしろ、ディ・マーケティングをしなければならない状態にある。

私自身、上記の過程を、一種の社会実験のように楽しんだこともあるが、もっとまじめにやっても結果はいっしょだったのではないかと思う。方法論を見つける過程を楽しむくらいの余裕が必要だろう。

もう一度申し上げよう。

「私は歌がうまい」

といっても、誰も信じないのだ。

SNSの世界では、「一人勝ち」ということはありえない。須らく、Give&Take が求められるのだ。

お陰様で、Facebookのおかげで、随分と得をしているとは思うが、だからといって私が一方的にTake側に回るということはありえないし、許されないのだ。
相当以上の「Give」が求められるのは当然のことである。

たとえば、私も自分の人脈(Facebook上の人脈)を使って、多くの方の「お見合い」を企画してきた。「雑サロ」はその大いなる機会となったし、最近では、大手企業同士の「お見合い」のお仕事というのが増えてきた。
この師走の間も、そういったお見合いの立会を何度もお勤めすることになる。
微力ながら、友達を別な友達に紹介し、彼ら双方のビジネス機会拡充のお手伝いに努めてきた。

これこそが、私自身の「セルフ・ブランド・マネジメント」の本質であったのだ…と、発表の準備をしていて、改めて気付かされる。
少し早いが、今年一年間、私の仕事のサポートをしてくださった皆様には、心より御礼申し上げたい。

2012年12月2日