2017年3月のアーカイブ

「アドラー心理学」ノート(4) 〜アドラー心理学の派生〜

アドラー心理学は、社会精神医学・自我心理学・人間学的心理学などの現代の心理学諸潮流の先駆的存在です。

自己理論と来談者中心療法を確立したカール・ロジャーズは彼の弟子ですし、論理療法の始祖であるアルバート・エリスは、アドラー心理学の影響を受け、北米アドラー心理学会の会員です。

デール・カーネギーの『人を動かす』(創元社)やスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』(キングベアー出版)など、多くの自己啓発書にも影響を与えています。

2017年3月25日

「アドラー心理学」ノート(3) 〜アドラー心理学の特徴〜

アドラー心理学は、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。
「所有の心理学」ではなく、「使用の心理学」である(何を与えられるかではなく、与えられたものをどう使うかを考える)といわれるのは、このためですね。

アドラー心理学には、常識へのアンチテーゼという側面があります。
具体的には、原因論の否定、トラウマの否定、目的論の採用、人の悩みはすべて対人関係の悩みだと考えること、承認欲求の否定、課題の分離等です。
多くの方が、最初、アドラー心理学に面食らうのは、このためでしょう。

フロイトの精神分析との違いを、簡単にまとめておきましょう。

アドラー心理学 フロイトの精神分析
目的論 原因論・決定論
使用の心理学 所有の心理学
全体論 分離論

2017年3月18日

「アドラー心理学」ノート(2) 〜アドラー心理学の概要〜

アドラー心理学は、別名、個人心理学ともいい、アドラーが創始し、その後継者たちが発展させた心理学の理論の名称であり、もう少し厳密に申し上げれば、思想と治療技法の体系の指す用語です。

アドラーは、個人(individual)を、「in(=not) + L.dividuus(=devisible 分けられる) + al(の性質)」、つまり「分割できない存在」であると考えていました。
ですから、アドラー自身は、自らの心理学を、個人心理学(Individual Psychology)と呼んでいました。

しかし、個人を細かく分析したり個人のみに焦点を合わせたりするように誤解されやすいため、わが国では、アドラー心理学と称されることが多いわけですね。

アドラーは、「人間を理解するのは容易ではない。個人心理学は、おそらくすべての心理学の中で、学び、実践することが、もっとも困難である」と述べています。

決別したフロイトの精神分析学の亜流や改変ではなく、むしろアンチテーゼとして彼の心理学は成立しているのです。

2017年3月11日

「超・世代間コミュニケーション」は可能なのか

震災から6年。忘れてはいけないと思いつつ、徐々に記憶が風化していく自分を戒めつつ、いろいろなニュースを見ています。

原発事故の後遺症。
本当に痛ましいです(後遺症の形態も多様化しています)。

いやがおうにも再確認させられるのは、

「人というのは、”短期的には性善説”が通用するが、”長期的には性悪説”を適用すべきだ」

ということ。

原発のみならず、増税も地球温暖化問題も、みな根っこは同じではないかと思います。

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明日、みんなが困ることに対しては…「とにもかくにも絶対反対」と考える。

30年後、子どもの世代が困ることことに対しては…「まあ反対かな」と考える。でも、本音をいえば、自分たちの世代の利権はちゃんと確保してほしい。

100年後、ひ孫の世代が困ることことに対しては…「そんなに気にしなくていいのではないかな」と考える。その世代の人間が考えるべきことだろうと責任を転化する。

10,000年後、遠い未来の子孫が困ることことに対しては…「さすがにどうでもいいだろう」と開き直る。「そこまであーた、責任はもてませんよ」と、答える。

100,000年後、超遠い未来の子孫が困ることことに対しては…「考えたこともございません」と驚いてみせる。「どうでもええんじゃないの?」と付け加える。

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法哲学の基本的な例題に、

「ここにスイッチがある。あなたがこのスイッチを押せば、明日、世界中の人は幸福になれる。しかし、その反動で、30年後には、間違いなく、世界中の人は不幸のどん底に突き落とされるようなカタストロフィーが訪れる。あなたはこのスイッチを押すか?」

とかいうのがあったと思います。
これを思い出してしまうわけです。

”短期的には性善説” ”長期的には性悪説” という傾向。
人類種種全体としての本能のようなものなのでしょうね(「集合知」ならぬ、「集合能」)。
将来のことは割り引いて考えるというのは、一定の合理性がありますし。
本能なら治らないのかもしれませんが、それでも、ちょっと悔しい気もします。
できることなら、もう少しだけ、遠い未来の子孫たちとの「超・世代間コミュニケーション」を考える努力をしたいものです。

追記
超重力化で任務を遂行し、相対性理論に基づき、12,000年後の遠い未来に地球に帰還する主人公たちを、その時代の人たちが「オカエリナサイ(「イ」は鏡文字)」と迎えてくれる庵野映画をありましたね。
あの「超・世代間コミュニケーション」にはウルッと来ちゃいます。

2017年3月11日

「アドラー心理学」ノート(1) 〜アルフレッド・アドラーの生涯〜

ひょんなことから、再びアドラー心理学について再勉強しています。
ノートのつもりで、彼の心理学のポイントをまとめながら、関連書籍を読み進めています。

一昨年でしたかね。ブームになった『嫌われる勇気』は続編『幸せになる勇気』も売上は上々のようですね。

香里奈さん主演のテレビドラマは、内容的にはちょっと「??」な部分もありますが、とにかく、「アドラー」の知名度が更に上るきっかけづくりにはなっているのでしょうね。

さて、第1回目は、まず、アドラーの人生を振り返るところからスタートしたいと思います。
ポイントは、第一次世界大戦への医師としての参加と、精神分析の始祖・フロイトとの決別だと思います。

アルフレッド・アドラーは、オーストリアの精神科医で、アドラー心理学(個人心理学)の創始者です。
フロイトやユングと並ぶ「心理学者の3大巨頭」と称されながら、日本ではその存在があまり知られていませんでした。

アドラーの生涯を略年表化すると以下のようになります。

1870年 ウィーン(オーストリア)の郊外で、ユダヤ人の両親の間に生まれる
1888年 ウィーン大学医学部に進学
1895年 同大学を卒業
1897年 ロシア系ユダヤ人、ライザ・エプシュテインと結婚
1898年 初の著書『仕立て職人のための健康手帳』を刊行
1902年 ジークムント・フロイトと出会う
1910年 ウィーン精神分析学会会長に就任
1911年 学説上の対立により、フロイトと決別
1912年 自由精神分析学会(翌年、個人心理学会に改称)を設立
1916年 第1次世界大戦に軍医として従軍
1927年 活動の拠点を米国に移す
1932年 ロングアイランド医科大学の教授に就任
1937年 講演先のスコットランドで心臓発作により死去、67歳

フロイトとは途中で決別しているんですね。

2017年3月4日

カウンセリングの源流

國分先生によれば、カウンセリングの根源は3つあるといいます。①今世紀初頭の職業指導運動、②精神衛生運動、③教育測定運動です。これら3つが合流してカウンセリングという分野が形成されたわけです。

國分康孝教授は、カウンセリングとは「言語的および非言語的コミュニケーションを通して、健常者の行動変容を試みる人間関係である」と定義しています。

この定義のポイントは以下の3点に集約できます。

① カウンセリングは言語のみならず「非言語的な要素」が非常に大きいこと。
② カウンセリングの目的は、クライアントの「行動変容」であること。
③ クライアントとカウンセラーの「人間関係」が重要であること。

カウンリングに似ているものが2つあります。
ひとつはサイコセラピー、もうひとつがソーシャル・ワークです。

サイコセラピーは、病理的なパーソナリティの変容を狙いとするものですが、カウンセリングは問題を抱えた健常者を対象としている点に違いがあります。

ソーシャル・ワークは公的扶助など、現実的・具体的援助を考える概念です。カウンセリングは、概して面接室の中だけのやりとりが中心となります。

1980年代になるとカウンセリングの実現形態が多様化していきます。

初期のカウンセリングは、特定個人に焦点を合わせていましたが、現在では、家族、集団、コミュニティへと援助対象が拡大しています。

当初は治療や問題解決法(治療型カウンセリング)が関心事でしたが、これも変化し続け、その後のカウンセリングは予防・教育的なアプローチ(開発的カウンセリング)にも関心がもたれるようになりました。

従来、クライアントと直接コンタクトをとるのが普通でしたが、現在では、文書、スライド、講習、集団体験など、方法も多様化しています。

2017年3月3日

カウンセリングとは何か

昨夜は、TIP*Sで「モチベーションの『見える化』」についてお話してまいりました。
偶然なのですが、今夜も似たようなテーマで友人たちと雑談することになっています。
テーマは「NLPとコーチング」。

NLPは全くの素人の私ですが、コーチングは1年近く学校に通っていた時期もあります。15年くらい前の話ですが(^o^)

NLPは数か月前に「名著を読む会」でも話題になり、2冊ほど本を読みました。

NLPにせよ、コーチングにせよ、勉強したり、研究したりすると、その基盤には、カウンセリングの考え方ががあるのではないか…という気がしてきます。

源流は違うのかもしれませんが、「傾聴」「質問」の重要性などは、よく似ています。

カウンセリングについては、これまた全くの素人。独学で、学んだことはありますが、誰かに師事したことはないんですよね。

15年ほどまえにコーチングの勉強をしながら、國分康孝教授の著書数冊を読み、そこからいろいろな本を読むようになりました。

本日の雑談会に際し、久しぶりに、國分流カウンセリング理論を振り返ってみたいと思います。

2017年3月3日

本日のアンケート

https://www.dropbox.com/s/c21vongbwfnedgl/%E4%B8%AD%E5%B0%8F%E4%BC%81%E6%A5%AD%E5%9F%BA%E7%9B%A4%E6%95%B4%E5%82%99%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%EF%BC%81%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%8C%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E5%8C%96%E3%80%8D%E5%85%A5%E9%96%80%E3%80%80%E8%A3%9C%E8%B6%B3%E8%B3%87%E6%96%99%E3%80%802017%E5%B9%B42%E6%9C%8827%E6%97%A5%E7%89%88.doc?dl=0

2017年3月2日

東京マラソン・ボランティアにおけるセキュリティ問題

先日の東京マラソン。
今年はボランティアとして参加させていただきました。
生まれて初めてのマラソンボランティア活動。
当日出会った同じ班のメンバーの皆さんにも恵まれ(本当にいい人たちですね〜)、楽しく、貴重な経験をすることができました。

ただ、問題も多いと感じました。
一番は、「セキュリティ」の問題。

ランナーの皆さんがFacebookに報じていらっしゃったとおり、今年は、ランナーは、前日までに受付を済ませると、

「ブレスレット(腕輪)」

の装着が義務付けられ、当日まではずすことができないしくみになりました。

友人の一人が

「孫悟空の頭の輪っか(緊箍児)」

と表現されていましたが、まさにそのとおり。
本人確認を徹底するためにはずすことができないわけです。

この「輪っか」。
ランナーだけではなく、私達ボランティアも装着が義務付けられていました。

大会前日の土曜日に呼び出され、ビッグサイトで1時間のボランティア事前説明会の受講が義務付けられているんですが、その際、腕に装着されます。

パスポートや免許証を参照し、厳格に本人確認を行い、ようやく、腕輪が装着される…という徹底ぶりです。

ところが…
空けて大会当日朝。
ボランティア会場(私の担当地区は両国でした)に到着すると、今度はまったくのノーチェック。
腕輪のチェックも、身分証明書のチェックもまったくありません。

「????」

前日の説明会におけるあの厳重な本人確認のチェックは何だったんでしょうか笑
それどころか、朝のミーティングでは、まともな自己紹介タイムもありませんでした。

腕輪はハサミでかんたんに切ることができる程度のものでしたから(大会が終わったら、皆、切って捨てますのでね)、一旦切って、別な人間に渡して、セロテープ等を使ってつなぎ合わせても、一見したら全然わからないわけです。

ランナーとして参加した友人に聞いたところでは、ランナーは当日も腕輪を使った本人確認機会がちゃんとあったそうです。
しかし、少なくとも、ボランティアとして参加した私は、その担当地区(両国)では、このようになんのチェックもありませんでした。
(他の地区ではやられていたのかもしれませんが、だとすれば、やっているところとやっていないところがあることが、これまた問題になりますよね。全数チェックでないと意味がないでしょう。)

前日の説明会で、

「世界一安全な大会を目指します!!」

と、講師の方が強調されていましたが、これではまったくの「笊(ザル)」のようなしくみ。

前日のチェック(本人と身分証明書の確認の後、腕輪を装着させる)を厳重にするならば、当日のチェック(腕輪を装着しているか、腕輪を加工したり不正操作したりした様子がないかを確認し、できれば、身分証明書による再チェックも行う)も同じように厳重にしなければ意味がありません。

おりしも、マレーシアで要人の暗殺事件があったばかり。
東京五輪に向けて、セキュリティに対する意識が高くなるのはよいことだと思うのですが、素人である私達一般ボランティアが首をかしげるほどの「笊(ザル)」のようなしくみは、来年には改善していただくべきだと思います。

2017年3月1日