2017年4月のアーカイブ

「アドラー心理学」ノート(10) 〜感情の捏造〜

さてさて。
「アドラー心理学」ノートも3回目。
今日は、対人関係論についてまとめておきたいと思います。

まずは、「怒り」という感情にスポットを当ててみましょう。

アドラーの目的論によれば、怒りは2次感情であるとされます。
すなわち、アドラーは、相手を威嚇することで支配したいという目的にために、怒りという道具を作り上げたと考えるべきと主張しているのです。

彼は、怒りは創りだすことができるし、自由に引っ込めることができると考えました。

有名なのは電話の事例でしょうか。
子どもを叱りつけている母親は、感情に任せて、大声で怒鳴りちらしているように見えても、親しい友人から電話がかかってくれば、怒りを一旦引っ込め、笑顔で会話し、電話が終わると、また、大声で怒鳴り散らしてしまう…

なるほど。
確かに、あくまでも、「怒り」という感情は、「出し入れ可能な道具」だということが、納得できてしまいます。

そこで、アドラーは、怒りはコミュニケーションの一形態であり、怒りを使わないコミュニケーションは可能である、したがって、怒りという道具を使う必要はない…と主張したのです。

2017年4月29日

「アドラー心理学」ノート(9) 〜仮想論(Fictionalism)〜

最後は、「仮想論」です。
アドラー心理学では、統一された全体としての個人は、相対的なマイナス状態から相対的なプラス状態に向かって行動すると考えます。

人間は、自分があたかも相対的なマイナス状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的にプラスの状態を目指しているかのように行動していきます。

プラスやマイナスは、あくまでも「相対的」なものであるというところがポイントです。
絶対的なプラスの状態、絶対的なマイナスの状態があるわけではないと考えるわけです。

いかがでしたでしょうか。
①個人の創造性、②目的論、③全体論、④社会統合論、⑤仮想論という5つの基本前提。
なんとなくわかる気がしますが、反論しようと思えば反論できそうな気もしますよね。
私も何度も、本を読んだり、人と議論しましたが、なんとなく理解しているレベルです。
量子力学の本を読んだときの同じような感覚です。常に「??」が沸き起こってきます。

2017年4月22日

「アドラー心理学」ノート(8) 〜社会統合論(Social Embeddedness)〜

さあ、次は、「社会統合論」です。
アドラー心理学では、人間は社会的動物であり、人間の行動はすべて対人関係に影響を及ぼすと考えます。

人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であるとみなすわけですね。

人間は社会的存在であるため、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになります。
しかし、個人はそれ以上分裂することができない最小単位であり、一体性のある人格として行動します。

このように、アドラーは、すべての行動には、対人関係上の目的が存在すると考えたわけですね。

2017年4月15日

「アドラー心理学」ノート(7) 〜全体論(Holism)〜

続いて、「全体論」。
前述したとおり、アドラー心理学では、個人は、精神と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない最小単位であると考えます。

ですから、精神と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾・葛藤・対立を認めていません。
たとえば、アドラーは、「無意識のうちに万引きしてしまった」という言い訳を認めていないわけです。

この点が、分離論に基づくフロイトの精神分析との大きな違いになっています。

アドラーは、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっていると考えました。

先程の万引きの事例について申し上げれば、その商品をほしいと思ったゆえ、悪いこととは知りつつも、ほしいという感情を優先させて、万引きに至ったと考えるわけです。

人は、感情という独立した存在に支配されているわけではなく、統一された全体なのです。

2017年4月15日

「アドラー心理学」ノート(6) 〜目的論(Teleology)〜

次は、「目的論」です。
アドラー心理学においては、全体としての個人は必ず目的をもって行動すると考えます。ここで、目的とは、生物学的目的(個体保存と種族保存)、社会学的目的(所属)、心理学的目的(その人らしい所属)の3つがあります。

アドラーは、「~だからできない」という原因論に基づく言い分は一切認めていまえん。それどころか、トラウマさえも否定します。
たとえば、「嫌な上司がいるので、会社に行きたくない」(原因論)と考えるのではなく、「会社に行きたくない」という目的を達成させるために、上司の行動を理由にすると考えるわけです。
「会社に行きたくないから、嫌な上司だという理由を創りだした」とみなすわけです(目的論)。

はじめて、アドラー心理学を学んだとき、一瞬違和感を感じつつ、よく考えると、「ああ、なるほど」と思ったものです。

ただ、トラウマの場合も動揺にすぎないという考え方には、戸惑いを覚えたりもした。
トラウマの否定の事例としては、赤面症の話が有名でしょうか。
アドラー心理学では、赤面症で悩む患者が「赤面してしまうから、告白できない」と言うのに対して、「告白したくないから、赤面になっている」と説明すると考えるわけですよね。

2017年4月8日

治療的カウンセリングと開発的カウンセリング

ところで、カウンセリングは、その活用の方向性によって大きく2つに分類されます。
それが、治療的カウンセリングと開発的カウンセリングです。
コンサルティングやマネジメントの世界で必要となるのは、主に後者です。

コンサルタントやマネジャーは開発的カウンセリングの視点を持って、さまざまなカウンセリング理論やカウンセリング手法に触れるべきなのでしょうね。
(1) 治療的カウンセリング 通常、クライアントは、相談助言を求めてくる場合に、職場の人間関係の相談(上司との関係、部下との接し方など)や自分の能力・適性の把握などの目的であれば、情報や考えるヒントを得られれば、おそらくは納得して帰っていきます。
しかし問題行動を抱えてどうにもならなくなっていたり、深い不安や葛藤にさいなまれている場合には、懸命の助言や説得をしたとしても、問題は解決しません。

このような場合には、情緒的レベルでの受容や共感をベースにした専門的な援助関係が継続的にもたれる必要があります。

どんな話題も禁止や制限をされず、温かい誠実さのあふれた態度で、受容してもらえる関係、そこでは「安心」して自分のありのままを見つめ、語ることができ、その体験を通して洞察を得、変容することができるわけです。

このように普通の人間関係とは全く違った治療的関係を構築することによって、相手の変容に役立とうとする関わり方を治療的カウンセリングといいます。
治療的カウンセリングには、高度な専門的知識が必要ですから、当然ながら、カウンセリングの専門家の領域です。
(2) 開発的カウンセリング 人間の発達過程において生活段階を中心に構成し、その各々について、社会的役割、発達課題、対処行動に分けて考えていこうという関わり方を開発的カウンセリングといいます。

開発的カウンセリングの始祖であるブラッカーは、カウンセリングは、ただ単に病理学的治療だけを目的とするものではなく、もっと大きな力を注いで、人間の発達を促進させることを目的とすべきであると主張しました。

ブラッカーの考え方は、生活段階次元、生活空間次元、生活様式次元を適切に診断しながら、それに即応して適切な介入を行なおうとするものでした。

ですから、学校カウンセリングや職場カウンセリングについて有効であるとされています。

ただ、日本では、その理論的、実践的研究がほとんどみられないようです。
私見ですが、このブラッカーの理論に代わって、わが国でこの役割を果たしたのが、ロジャーズの来談者中心療法(クライエント・センタード・アプローチ)ではないかと思います。

2017年4月3日

「アドラー心理学」ノート(5) 〜個人の創造性(Creativity)〜

今回は、アドラー心理学の基本前提のなるキーワードについてまとめてみましょう。
①個人の創造性、②目的論、③全体論、④社会統合論、⑤仮想論という5つの基本前提について、順に見ていきましょう。

まずは、「個人の創造性」について見ていきましょう。
アドラー心理学では、個人は、それ以上分割できない存在であるという立場をとります。
全体としての個人が、心身を使って、目的に向かって、行動していると考えるわけですね。
個人の創造力・創造性が、個人の変化・変容を可能にする要因となるものとみなしています。

2017年4月1日